高崎市、前橋市の外壁塗装なら本田塗装。屋根塗装、フッ素塗装、ジョリパッドも対応可能。

本田塗装

  本田塗装
助けあいジャパン

 

私達にできること

 

お客様の声

 

塗装屋日誌

 

本田家の日常

 

屋根塗り替えBefor&After

 

外壁塗り替えBefor&After

 

無料プレゼントをご希望の方はこちら!

 

HANA COLECTION

 

本田塗装ご案内 動画配信中!

 

メディア掲載

 

メディア掲載
お客様の声
塗装用語集
私達にできること
小冊子プレゼント情報
※ここまで知ればもう安心・リフォームはそれからでも遅くない!

小冊子プレゼント情報です。

 

事業地域

群馬県高崎市を中心に群馬県全域、埼玉県北部に対応!

 

マイリフォームレシピ

マイリフォームレシピ

 

HOME»  本田塗装のこだわり

本田塗装のこだわり

本田塗装のこだわり

田塗装、つの自信

 

こだわり

 

8つの誓い

 

本田勇樹

 

本田塗装のこだわり

「小さい会社だからこそ出来る事」

弊社 本田塗装は今年で創業6年目(平成24年現在)というまだまだ若い会社です。
周りの温かい人達に支えられて、助けていただいて成り立っている小さな塗装屋です。
そのため、大手のような信頼感は無いのかもしれません。
一軒一軒、丁寧に時間をかけて、仕上げる事しかできません。

お客様の顔も覚えられないほど、速い仕事など、不可能なのです。
他の塗装屋さんが1日で終わってしまう最後の掃除も、弊社では2日かかってしまうでしょう。
30分で終わるはずのお客様との打ち合わせが、1時間かかってしまうでしょう。
それが弊社 本田塗装の絶対に譲れない、一つ目のこだわりです。

 

「小さい会社だからこそ出来る事」

 

「お客様目線」

本田塗装の二つ目の「こだわり」
それは、
「お客様目線」です。

もし自分がお客様の立場だったらどうだろう?
という事です。

お客様は、「業者の生活の為」に大切なお金を使う訳ではありません。
「家を守る為」に大切なお金を使うのです。

「業者目線」では見えない事も、「お客様目線」で考えれば、見えてきます。

もちろん、リフォームのプロフェッショナルとして、大切な所は
「業者目線」で見なくてはいけませんが。

「業者が生活をしていく為」に、お客様が存在するのではありません。
「お客様が家を守る為」に業者が存在するのですから。

 

「ありがとう」

本田塗装の最後の「こだわり」
それは、「ありがとう」です。

「ありがとう」と言われると心が温かくなりませんか?

アフリカのとある国ではプレゼントをあげた人が「ありがとう」って言うらしいですよ。
不思議ですよね?
普通はもらった人が「ありがとう」ですよね?

理由は、喜んでくれたから。
だそうです。

プレゼントをあげてよかったという気持ちにさせてくれたから、
「ありがとう」に対しての「ありがとう」なんですって。

私はお客様から「ありがとう」をいただく度に「こちらこそありがとうございます」
という気持ちでいっぱいになります。

お客様から、できるだけたくさんの「ありがとう」をいただくこと。
そして、できるだけたくさんの「ありがとうございます」をお返しさせていただくこと。

それが本田塗装の最後の「こだわり」です。

 

お客様への8つの誓い

本田塗装ではお客様に必ず8つの誓いを立てております。

 

ポイントその1

 

お客様の不安・不満を徹底的に解消します!

 

ポイントその2

 

しつこい営業はしません!

 

ポイントその3

 

自社施工でコストカットします!

 

ポイントその4

 

追加金の一切掛からない見積もり書を提出します!

 

ポイントその5

 

お客様に無駄なお金はかけさせません!

 

ポイントその6

 

ご近隣にもしっかりご挨拶致します!

 

ポイントその7

 

出たゴミは全て持ち帰ります!

 

ポイントその8

 

長期保証でアフターメンテナンスも万全です!

 

代表 本田勇樹とは?

出生~小学生

昭和55年 9月19日
前橋市のごく普通の家庭に長男として生まれました。

家族構成は、祖父・祖母・父・母・私の5人家族でした。
祖父と祖母は自宅のすぐ隣で駄菓子屋を営んでおり、
父と母はお互いに洋服屋を経営していました。

今考えてみると、商人の一家だったんです。(笑)

父が長男だったため、週末になると父方の叔父さん家族や、
叔母さん家族が遊びに来て、それはそれはにぎやかで
楽しい家族でした。
そして私は幼稚園に入園し、いたずら坊主として(笑)名前を売っていきました(笑)(笑)
時間はあっという間に過ぎ、気付けば小学生です。地元の「前橋市立新田小学校」に入学しました。一年生・二年生・三年生と時間はあっという間に過ぎ、四年生になったある日。

事件は起きました・・・

 

出生~小学生

 

突然の出来事・・・

ある日の夜、いつものようにテレビを観ていると、母が部屋に入ってきました。
そして一言、「おばあちゃん家に行こうか?」と聞いてきました。

私は母方の祖父も祖母も大好きだったので、「行こう!!」と返しました。
「いつ?」と私が聞くと、母は、うかない顔で「いつがいい?」と返します。

子供ながら、会話に何とも言えない違和感を感じたのを今でもはっきりと覚えています。
少し沈黙した後、「この家を出て、高崎のおじいちゃん家で暮らそう。」と母が言いました。

小学四年生の子供です。
私は訳が分からず、
「みんなで引っ越すにはおじいちゃん家じゃ狭いよ。」
と言いました。

すると母が、
「みんなでじゃないよ。 二人で行くんだよ。」
と涙を溜めながら言いました。

なんとなくですが、私は予感がしました。
すごく悲しい事が起こるんじゃないかと・・・

 

突然の出来事・・・

 

的中した予感・・・

予感は的中しました。

母は、子供の私にも分かるように説明してくれました。私も少しだけ状況が把握出来てきました。
(お父さんとお母さんは離婚をして、僕とお母さんの二人で、この家を出て行くんだ)

そう思いました。
小学四年生の子供には受け入れがたい現実でした。少し経ってから、引っ越しが始まりました。

この辺の出来事は、正直言って記憶が曖昧なんです(笑)
きっと、かなりこたえたのでしょう。

ただ一つだけ覚えています。
誰にも気付かれないように、毎日泣いていました。泣いてるのがばれたら、母が悲しい思いをすると思って。布団の中や、時には浴槽にもぐって泣いた事もありました。

いくらお湯にもぐって泣いても、結局目は腫れちゃうんですけどね(笑)
きっと母は気付いていたと思います。

そして小学四年生の二学期、私は「高崎市立大類小学校」に転入しました・・・

 

新たな生活

新しい生活が始まりました。

よく、転入生は友達作りが難しいとか言いますが、私はそう思った事はありませんでした。
何故なら、私、幼稚園は高崎の幼稚園に通っていたので、同じ幼稚園の友達が小学校にたくさんいたのです。

久し振りの再会ということもあって、すぐに仲良くなりました。
五年生になった頃には、隠れて毎日泣く事もなくなり、サッカーやバスケットに夢中になっていました。

そして六年生になり、あっという間に卒業式です。後になって聞いたのですが、卒業式の日、母は大泣きだったらしいです。きっといろんな想いがあったのでしょう。

そして私は「高崎市立大類中学校」に入学します。

 

中学生~高校生

中学生になった私は、サッカー部に入部し、毎日汗を流していました。
勉強はそっちのけで、本当にサッカーと遊び専門でした。(笑)

ただうちの小学校にはサッカークラブという物が無かったので、練習についていくのに必死でした。他の小学校から来た友達はみんなサッカークラブに入っていたので、実力は歴然たる差がありましたよ・・・

そして時は経ち、サッカーと遊びに夢中になっていた少年もいよいよ三年生になりました。
進路について考えなければなりません・・・

当時私は、調理師になりたかったんです。
ただ、「高校くらいは卒業しなさい」という家族に根負けし、高校受験に臨む事になります。
しかし、勉強が苦手だった私は、志望校に落ちてしまい・・・
滑り止めで受験した、「群馬県立松井田高等学校」に入学する事になるのです。

 

高校入学 そして・・・

高校に入学した私は、新しい友達も増え、とにかく楽しい毎日を送っていました。

当時、松井田高校は、一学年が三クラスしかなく、一組 二組は普通科クラス。
三組は商業科に分かれていました。私は商業科でした。

つまり、一年生で決まったクラスが三年間ずーっと一緒なんです。珍しいですよね? その頃でした。母親宛てで、ある人から電話が頻繁に来るようになっていました。
その人は「山本」と名乗っていました。

当時母は、洋服店の経営から身を引き、高崎のデパートに勤めていました。母いわく、山本さんは職場の同僚という事でした。それからしばらくしたある日、母に「紹介したい人がいる。」と言われました。もう私も子供ではありません。

ピンと来ました。

母には上手く表現出来ませんでしたが、とにかく嬉しかったんです。私は日頃から母に再婚を勧めていました。理由は、母の幸せです。父との離婚で、母は十分すぎるほど傷つきました。

だから幸せになってほしかったのです。その後、山本さんとも会い、私は再婚を快く受け入れました。高校入学から三、四か月が過ぎた頃、二人は再婚しました。

 

反発・・・

母の再婚を機に、祖父母の家から、同じく高崎市内のマンションに三人で引っ越しをしました。
しかし私はまだ高校一年生、二人の再婚を心から喜んだにも関わらず、父親とぶつかってしまいます。

口を利かないなんて当たり前、つかみ合いのケンカをした事もありました。
頭では分かっていても、心がうまく消化出来なかったんです。そんな日々が続き、高校一年の冬、私は高校を中退してしまいます。理由なんて何でもよかったんです。

ただ、いつの間にか毎日がつまらなくなっていました。誰のせいでもありません。
全て自分の弱さが招いた結果なのです。

高校を中退した後は、あまり家には帰らず、友達の家を泊まり歩いていました。しかし、そんな生活など長くは続きません。お金がなくなり、両親の留守を見計らって、家にご飯を食べに帰った時、私の部屋に一枚の手紙が置いてありました。母からでした。

そこには、私を心配する内容が書かれていました。
その中で、今でも忘れられない一文があります。

「人間は、どんなにつらくて苦しい事があっても、一日 一日を精一杯生きなければいけないのですよ。」

すさんだ生活をしていた私の胸に突き刺さりました。

「このままじゃいけない。」私は本気で仕事を探し始めました。
ただ、「とりあえずの仕事」 はしたくなかったのです。

せっかく探すなら、「一生続けられる仕事」を見つけたかったのです。とにかく色々な仕事をしました。建造物解体業、洗車場、運送業・・・

しかし、私にとっては、どれも「一生続けられる仕事」ではなかったのです。
一時憧れていた、調理師を目指してみようかな・・・

なんて思っていた時、ある会社の求人広告を目にしました。試しに面接を受けてみると、採用との事でした。私は、早速その会社で働き始めました。

気付けば、私は18才になっていました。高校に通っていた友達も、卒業し、仕事を探していました。友達が高校生活を楽しんでいる中、私は働いていました。

当然です。自分が選んだのですから。
友達より先に社会に出たと調子に乗っていた私が追い付かれる番です。まずいです。
このままでは誇れる物が何一つありません。

焦っていた私に、職場の先輩が話しかけてくれました。その人は、私の8つ年上の先輩でした。
そして、その先輩との出会いが私の運命を大きく変えることになるのです。

 

出会い・別れ

その先輩は、Sさんといって(本人が見ていると恥ずかしいので・・・)会社の中でも私に一番年が近い先輩でした。

私は会社の中でSさんと一緒に動く事が多く、Sさんの人柄もあり、あっという間に心を開いてしまいました。それまで職場の先輩に心を開いた事なんてなかったのですが・・・

気が付くと、兄弟のいない私はSさんの事を本当の兄のように思っていました。
それ故にかなり失礼な事もしてしまいましたが(笑)
Sさんの事を慕っていくうちに、この仕事も大好きになっていく自分がいました。そうです。

この仕事・・・塗装屋です。

そう気付いた時、私は、毎日が楽しくなっていました。そして、その時Sさんはすでに独立を考えていました。「将来この人と仕事ができたらいいな」なんて思ったりもしました。

しかし、それから半年後、私は会社を辞めることになります。
理由は、Sさんの優しさに甘えてしまうからです。

このまま甘え続けたら、いつまで経ってもSさんに追いつく事はできません。
違うフィールドで自分を鍛えて、いつかSさんに頼ってもらえるような職人になることを誓いました。

 

修行・独立

会社を辞めた私は、色々な塗装屋を転々としました。色々な会社のやり方を覚えたかったからです。一口に塗装業者と言っても、下請け業者・元請け業者が存在します。

下請け業者でしか学べない事、元請け業者でしか学べない事がたくさんあります。
私の経験から出た答えです。

私が会社を辞めて少し経ってから、Sさんが独立したのは知っていました。何度か応援に呼んでもらったのですが、ほとんどお断りしました。まだSさんの役に立てないのはわかっていましたから。私にお金を払ってくれるのであれば、もっと仕事の出来る職人を呼んだ方がいいに決まってます。そう思っていました。
それから6年ほど修行し、少し自分に自信がついた時でした。
Sさんに電話をしました。

一言。「使って下さい。」
返ってきた答えは、「いいよ。」でした。

私は、Sさんが立ち上げた会社 S塗装で働き始めました。
S塗装は新築住宅の内部塗装を主としていました。
6年前に憧れていた先輩は、憧れの親方になっていました。S塗装には、私と同級生の職人がいました。元々、同じ高校の友達なのですが、私の紹介で数年前にS塗装に入社しました。

その職人とは今でもよく仕事をします。懐かしい気持ちでいっぱいになりながらも、毎日毎日精一杯仕事をしました。少しでもSさんに恩返しがしたくて。S塗装で働き始めて3年弱経った頃、私は退職を申し出ました。ただの退職ではありません。

独立宣言です。憧れの親方、Sさんに近付くために。

 

独立・今現在

そして私は独立しました。私とSさん、変な関係だと思いませんか?
でも、正真正銘、これが師弟関係です。

独立後の私はというと、周りの方の支えのおかげで忙しい毎日を送っていました。
しかし、独立から半年後の夏、母が倒れました。診断結果は脳梗塞でした。
父の発見が早かったおかげで大事には至りませんでした。
今は仕事に復帰しているのですが、まだ後遺症のしびれが残っています。

そして、去年の暮れに、母方の祖父母が二人とも亡くなりました。
前橋を出た、私達親子を、何も言わず受け入れてくれた祖父母です。
祖父はガンで入院していたのですが、それがショックで祖母も倒れてしまいました。

祖母は検査入院中に、食事をのどに詰まらせてしまい、心肺停止になり、亡くなりました。
その一ヶ月後、後を追うように、祖父も亡くなりました。私は、二人に何もしてあげれなかったんです。甘えて、頼ってばかりで、孝行なんて何一つ出来ませんでした。

何もしてあげれなくてごめんね。
情けない孫でごめんね。

おじいちゃんの作ってくれたお米・野菜、本当においしかったです。
おばあちゃんの作ってくれたご飯、本当においしかったです。
たくさんの愛情をありがとう。
二人の孫で本当に幸せでした。

母の病気・祖父母の死。
正直、私自身乗り切れるのか不安です。
自信はありません、でも乗り切って見せます。

祖父母に、私の事を、天国で自慢してもらいたいのです。

だから、頑張ります。
人は一人では生きていけません。
この世に生まれてきた時点で、必ず誰かとつながっているんです。
普段、当たり前だと思っている事も、当たり前ではないのです。
私は一日 一日を精一杯生きてみようと思います。

 

私がなぜここまで自分の事を話したのか。

それは、同情してほしいわけではありません。

ただ知ってもらいたかったのです。

本田勇樹がどういう人間なのか、どう生きてきたのか。

最後まで目を通して頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございました。

 

お問合せはこちら